自動車は時間が読めない乗り物
自動車は自由にどこにでも行ける乗り物です。ですが、こと「時間」に関しては「約束」がし辛い乗り物でもあります。もちろん、ある程度ゆとりをもって計画を立てておけばいいのですが、それでもいつどこで事故がある渋滞しているかもわからないのです。そのようなことがあるにも関わらず、休日や行楽シーズンになると長い渋滞ができるほどみんなが車ででかけるのです。
それはなぜなのかというと、やはり車には自由があるからです。そして外と隔離された自分だけの、自分たちだけのパーソナルな空間を維持したまま移動できるからでしょう。好きな音楽を聴いてもいいし、大きな声で会話をしても、騒いでもいい。そのようなパーソナルな空間をそのまま移動でき、しかも自分の意思で思いのまま好きな所に行ける。そのような魅力が人が車に乗り続ける理由ではないでしょうか。
そして、乗り続ける以上は必ず「駐車」しなければいけないことも間違いなく事実です。車で好きなところに行けることは間違いありませんが、そこを通り過ぎるだけではなく、ある程度停めておくためにはやはり「駐車場」が必要なのです。人が車に乗り続ける限り、駐車場は必要です。シーズンによっては特定の場所が混んでしまったり、人気のスポットなどでは明らかに台数が不足してしまうこともあるでしょう。そのような時は駐車できなくて計画が狂ってしまうこともあるでしょう。そのようなことを加味すると、「車は自由なかわりに時間が読めない」ということになるのです。満車になってしまったパーキングも、5分待てば空くかもしれませんし、一日待っても空かないかもしれません。おおよその見通しは立っても、「確実」なことは言えないのが実際なのです。
車はそのようなもの、道路の渋滞と同じでパーキングの利用状況も読めないものだということをしっかりと認識しておけばいいのですが、それを忘れてしまい、「30分でつくはずだ」と思いこんでいて、結果遅れてしまうようなことがあるとイライラしてしまうこともあるかもしれません。ですが、それは他の誰かのせいではなく、「読みが甘い自分のせい」なのです。渋滞にしても、パーキングの満車にしても、誰も責めることは出来ません。等しくどこでも起こる可能性があり、起こらない可能性もあるのです。
そのようなことを考えると、「本当に時間を守らなければいけない大切な要件」の時には電車で向かうか、何があってもリカバリーできるくらいにゆとりを持って行動するしかありません。便利な乗り物であっても、渋滞やパーキングの満車に対しては「待つ」以外にはできることがないのです。
便利なドライビングライフのためにはそのような「不確定要素」に対す認識と了解が必要です。「自分だけは渋滞にあいたくない」という考えは通用しませんし、個人専用の道路がない以上不可能なことなのです。そして、「もたもたしている車がイライラする」というような気持ちも危険です。そのまま独善的な運転になってしまうと「暴走」そのものになってしまいます。
それは周囲に迷惑をかけることですし、なによりも危険行為であり、違法です。そのようなことにならないように、気持ちも穏やかに保って、自身も周囲も快適に運転できるようなドライビングを心がけましょう。周囲に対する気配りや安全に対する配慮、そして時間に対するゆとりがなによりも大切でしょう。