車で移動したい!
車があれば、ちょっとした用事があるときなどにそのままなにも考えずに車で出かけることができます。近所でも1番近いルートで、見知った道で出かけることができます。これが電車やバスだとどうでしょうか。目的地最寄り駅やバス停を探し出し、そこまでの経路や時刻表などを調べなければいけません。車を持たない人には当たり前のことかもしれませんが、普段から車を使う人にはこれが何ともいえず面倒なのです。
最短距離で向かうことも出来ないとなるとなおさらです。車があるからこその利便性。それが車があることの最大のメリットです。一度車で移動する利便性を覚えてしまうともはや電車やバスでの移動が非常に億劫になります一度駅やバス停まで行かなければいけない。そして乗車券を買わなければいけない、となるとますます面倒です。決められた時間で運行するそれらの交通機関は、誰でも使えて便利であることは確かですが、何とも退屈なものなのです。
車には「自由」があります。それは「いつでも出発できる自由」、そして「どこを通ってもいいという自由」です。それは電車やバスなどで感じる「運ばれている」というような感覚とはまったく違い、「移動している」という感覚になります。自らの意思で、自ら選んだルートを好きに移動する。途中で寄り道してもいいですし、最短距離を突き進んでもいいのです。時と場合によってルートを選ぶことだって出来るのです。それが「自家用車」の最大のメリットです。買い物をするときも、「持って帰るのが大変な量」であっても、車であれば積み込むことができるのです。
都市部とは離れた「地方」では、車がないことがそのまま生活に支障をきたすような場合があります。そのような土地では「車離れ」とはいっていられず、若者から老人まで、運転できる人はみんな運転しなければいけない土地もあります。それは公共交通機関があまり整備されていないという理由もあります。そのような場所では誰でも当たり前のように車に乗っています。「車は贅沢かな」などという選択肢自体がないからです。
都市部の若者の間で風潮として浮き彫りになっている「車離れ」という事象は、それ自体が少し軟弱であるという捉えられ方もされています。要するに、「経済的」な側面だけで自家用車を持つということに対して積極的になれないのであれば、それは「気概が足りない」というのです。確かに都市部ではあまり自家用車は必要ではないかもしれません。今や車が「ステータス」などいう時代でもないのかもしれません。ですが、「いつかは車を持つぞ」という気概自体が、失われているというのです。
それは時代の自然な流れなのか、それとも経済状況の悪化によるものなのか、それはわかりません。ただ、「車で移動したい」という気持ち自体が薄れているようには感じられません。「自由」を得るためにはそれなりに負担しなければいけないものもあります。それを維持する経済力をもって初めて、「車に対する愛情」が生まれるのです。車で移動する自由を維持するために一生件名働くことは悪いことではありません。むしろ、何も欲しいものがなく、ただ生活できればいい、という状態はあまり健全ではありません。