自動車離れとはいうものの・・・・
「自動車離れ」とは、近年の若者を風刺する形でよく用いられる言葉です。最近の若者は「欲しがらない」といわれています。仕事に対しても多くを求めず、キャリアアップも特に志さないというのです。たしかに、ある程度の収入があれば暮らしていくことはできます。何か知りたいこと、見たいものがあったとしても、「インターネット」で探せばその情報は知ることができます。車がなくても、日本海側の海岸はどのような状態なのか気になれば写真とともに情報を引き出すことができます。そして、どこかに本当に行きたいと思えば日本国内に発達した交通機関を使用することでほとんどの場所に行けます。
ドライブしたいと思えば「レンタカー」を借りればいいのです。人の価値観が多様化し、限られた資本を何のために使うのかということが細分化してきたことの表れが、「車離れ」という言葉には集約されています。あまり欲しがらない、求めない、「そこそこ」であれば良いという考えなのだともいえます。
ですが、「ドライブ」に対するニーズは「マイカーは欲しくない」ということとは別のもののようです。
以前から存在するレンタカーもレジャーシーズンには予約でいっぱいになりますし、さらにはもっと気軽に車を使いたいという要望に応えて「カーシェアリング」というものも普及してきました。カーシェアリングは複数人、複数世帯で一台の車を共用するという新しい車を所持する形です。レンタカーの店舗に行かなくても、自宅の近くの駐車場で近所の人が集まって維持費を負担し合い、一台の車を共有するということです。
ですから、「車離れ」とはいってもそれは個人の資本の「使い方」が多様化したというだけで「ドライブ」に対するニーズは衰えていないのです。たしかに、自家用車が自宅の駐車場に停められている時間とエンジンがかけられている時間を比べれば、停まっている時間の方が一日の中で圧倒的に長いのです。「たまにしか乗らない」のに車を丸ごと一台持っておくということは、考え方によっては「無駄」に見えるのかもしれません。そして中古車といえど「車」は高額なものですから、所持すためにはそれなりの資本力も必要です。中古車でもしっかりとした車を買おうとすれば100万円は下らないでしょうから、一括で払うにしても分割してローンを組むにしてもなかなか大きな出費となるのです。そのようなアイテムであるが故、昨今の経済状況もあいまって車との関わり方に変化が生じてくるのも仕方がないのかもしれません。
ですが、どのような時代であれ人は自由に車でドライブすることをやめません。自分のルートで、自分のタイミングで、好きなときに好きな場所へ行ける。その場所で見るもの、過ごす時間は車がなければ実現できないものなのです。車がなければつくれない思い出なのです。経済的にゆとりがあっても、なくても、車でどこかにでかけて自分たちだけの時間を作りたいという希望は、変わりません。「車離れ」という言葉に惑わされて「車を買うことがナンセンスなのでは」と思うのは間違いです。車と人の関わり方が「多様化」したということですから、「やっぱり自分の車が持ちたい」という気持ちがあるのであればそれは間違いではありませんし、状況が許すのであれば購入してもいいのではないでしょうか。